桜新町の歴史

東急田園都市線桜新町駅の一日の乗降客はおよそ7万人。バラエティに富んだ200軒余りのお店が並ぶ商店街があり、「サザエさんの町」として有名です。その中には、長い間、町を支えてきた懐かしい佇まいのお店も数多く残っています。今回は桜新町の歩んできた歴史の一部をご紹介します。

『路面電車』

桜新町に路面電車が走っていたことをご存知でしょうか?

駅前通りは、かつて大山道(大山街道)と呼ばれ、江戸時代、関東の各所から相模国大山にある大山阿夫利神社(現在の伊勢原市)への参詣者が通った古道でした。

玉川電気鉄道により世田谷に鉄道が敷かれたのは明治40年、日本で初めて新橋-横浜間で鉄道が通ってから35年後のことです。当時は砂利輸送がメインでしたが、大山道を往来する旅人や地元住民の足ともなりました。この開通により電気がひかれ、生活環境が飛躍的に変化していきました。

昭和44年に廃止されるまで、緑とクリーム色のツートンカラーの可愛らしい路面電車が桜新町の通りを走っていたのです。

車両は田園都市線宮崎台駅にある東急電鉄の「電車とバスの博物館」に保存されています(休館中。平成28年春リニューアルオープン予定)。

『日本初の分譲住宅』

大正1年から大正2年にかけ、玉川電鉄の株主であった東京信託(現在の日本不動産)が世田谷区新町(現在の深沢七丁目・八丁目付近)に、富裕層に向けた鉄道沿線型の高級分譲住宅地の開発・販売を始めました。これは日本で最初の宅地開発と言われています。

記念として1000本余りの桜を植樹したことから、桜並木が町の象徴となり、昭和43年にその地域の住居表示が桜新町になりました。

『商店会誕生と集団就職ブーム』

昭和7年頃から商店街の形ができはじめ、昭和26年に桜新町商店会組合が設立されました。日本は高度成長期を迎え、人手不足が深刻だった時代です。

そこで、昭和27年、桜新町商店会は地方から働きに来てもらうことを発案し、その準備を始めました。上京への不安をなくすため、給与や退職金を商店会で統一することや、受け入れ先での好待遇を約束するなど、熱心に働きかけを続けた結果、昭和30年に新潟県からの最初の集団就職1 5人の受け入れが実現しました。

これが集団就職のモデルケースになり、全国に広まっていきました。その後も桜新町商店会では採用を続け、百数十人の若者の受け入れをしました。

『サザエさんの町』

終戦の翌年の昭和21年、「サザエさん」の原作者、長谷川町子が桜新町へ引っ越してきました。漫画の中では、路面電車や商店街など、当時の住民と町の様子が生き生きと描かれています。

昭和60年11月に長谷川町子美術館が開館したことで、翌々年、桜新町商店会は美術館へ続く道を「サザエさん通り」と命名しました。
サザエさんの登場人物が銅像やイラストとなって町を盛り上げ、桜新町は地域の文化を生かした「サザエさんの町」として全国的に有名になりました。

そして現在はマンションが多く建ち、人口も増え続けている桜新町。新しい暮らしと昔ながらの暮らしが同居し、住みやすい町としてファミリー層を中心に人気の高い住宅地となっています。

記事作成日:2015年11月19日 最終更新日:2017年07月23日