二子玉川の歴史

二子玉川と言えば、平成22年にオープンした二子玉川ライズに注目が集まる街です。そして開業46年になる玉川高島屋S・Cも常に進化を続けています。

人々が集まり、住みたい街として人気の二子玉川がどのようにして発展していったのか、その成り立ちの歴史をご紹介します。

『景勝地・多摩川』

二子玉川のある世田谷区玉川地域には、東西に国分寺崖線(がいせん)が伸びています。国分寺崖線とは、10万年以上の年月をかけて、多摩川の流れが武蔵野の台地を削りとって出来た地形です。そこには豊かな自然環境が残り、瀬田地区にある行善寺からの眺めは「玉川八景」と呼ばれ、江戸時代から景勝地として人々に愛されてきました。

渡し舟「二子の渡し」により人や物資が行き交うことで地域一帯が栄え、多摩川沿いにはたくさんの料亭が建ち並んでいたといいます。現在の二子玉川のルーツとも言える、賑わいのある場所がすでにあったのです。

『高級住宅地の誕生』

明治後期から、緑に囲まれた風光明媚な土地柄に魅力を感じた政財界人が高台の瀬田地区に別荘や邸宅を建てるようになりました。このような自然の中に建てられた近代建築が、高級住宅地としての玉川のイメージに繋がっているのでしょう。

二子玉川では、以下にご紹介する近代建築を実際に目にすることが出来ます。

「静嘉堂文庫」

東京都選定歴史的建造物 大正13年築。岩崎家所有のコレクションを元にした美術館。

「旧小坂住宅」

世田谷区指定有形文化財 昭和12年築。衆議院議員であった小坂順造の別邸。

『行楽地としての二子玉川』

大正11年、玉川電気鉄道が多摩川沿いに「玉川第二遊園地」を開設。プールやテニスコートも併設され、二子玉川は郊外の行楽地として人気を集めました。昭和29年に東急不動産により、あらたに「二子玉川園」として開園され、周辺地域からやってくる家族連れなどで大いに賑わいました(昭和60年閉園)。

昭和44年には広大な駐車場がある国内初の郊外型デパートとして、玉川高島屋S・Cがオープン。これにより、マイカーで遊びに行けるおしゃれな街という、「二子玉川」のイメージが定着することになったのです。

そして平成22年、二子玉川東地区市街地再開事業により、自然との共存をテーマした街「二子玉川ライズ」が誕生しました。

二子玉川ライズの開発で、より住みやすい街になった二子玉川。時代や風景が変わっても、常に人々が集い、暮らしを楽しむ場所であり続けています。

記事作成日:2015年11月23日 最終更新日:2017年07月23日